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読み始めたものの. . . :「羊と鋼の森」 [本]

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蒸し暑い日でした。

車を日陰に駐めても窓を開けないと暑くなってきます。

冷たいものが欲しくなります。

ここのコーヒーとアイスコーヒーは好みではないのでいつもオレンジジュースです。




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冷房を求めてショッピングセンターに入り書店に立ち寄ってみますと昨日からロードショウというこの本が並んでいました。

本屋大賞を獲った本ですが、以前から何度か読んでみようかと思いながらやめておいた本です。

 

 



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やっぱり本屋大賞はこの手の本を評価するのかなという印象です。

足が地に着いてないというか掴み所がないというか観念的というか、つまるところ著者の描写力、文章力の問題ということではないかと思います。

音から想起されるイメージの描写は「蜜蜂と遠雷」に似ているところがあります。

 

 

映画が別物になっているなら観ても良いかなと思いますが、どうでしょうか。





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どうでも良いことですが、ストローの袋など、千切ってくしゃくしゃにするのが嫌いなのです。




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朝のバラはいっぱいに開きました。




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middrinn さんのレスで思い出しましたが、NHK のこのドラマが見ごたえがありました。




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奥さん役が 尾野 真千子 さんなので巧いのは当然ですが、漱石役の 長谷川 博己 さんが鬼気迫るような熱演で、こうだったのかと納得させられる思いでした。

尾野 真千子 さんは昔見たドラマ「火の魚」の演技が忘れられません。

作家役の 原田 芳雄 さんもさすがで凄みがありました。

丁々発止。




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明日は親戚の法事がありますので撮影はせず。今朝の続きを早めにアップして出かけます。

 

だいぶ降るらしいのがちょっと困ります。

 

暑くないなら良いですが。

 




 

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訳文の違い [本]

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先日取り上げました 松岡 和子 さんと 河合 隼雄 さんの本を読んでいましたら「ロミオとジュリエット」の一部の訳文を比較している箇所がありました。

 

P.46 からの

 お礼状

の中ですが、

 

 See what a scourge is laid upon your hate,

 That heaven finds means to kill your joys with love;

 (第五幕第三場)

 

 「見ろ、これがお前たちの憎悪に下された天罰だ。

 天は、お前たちの歓びを愛によって殺すという手立てを取った」

 

と、例文があります。訳文は松岡さんによるものでしょう。

 

 これまでの訳ではほとんどこの「愛」をロミオとジュリエットの愛だけに限定し、「こなれた」日本語にパラフレーズしてあるのです。

 

として、過去の例を挙げています。

例によってルビは入力できないので()で示します。

 

坪内逍遥:「是(これ)汝等(おぬしたち)が相憎悪(にくみあひ)の懲罰(こらしめ)、天は故(わざ)と子供等を愛しあはせ、以(もつ)て汝等(おぬしら)が歓楽(よろこび)をば殺させられたわ」

 

福田恆存:「見るがよい、お前達の憎しみに加へられた天誅(てんちゅう)を、神のお選びになつた手立てはお前達の生き甲斐(がひ)を互ひに想(おも)ひ想わせ、その上で殺してしまふ事だつた」

 

中野好夫:「どうだ、その方たち相互の憎しみの上に、どんな天誅が下されたか、また天は、その方たちの喜びたるべき子宝が、互ひに相愛することによつて、かへつて互ひに滅ぼし合ふというふ、さうした手段(てだて)をとられることも分かつたらう」

 

平井正穂:「見るがよい、恐ろしい罰が憎み合うお前方の上に下されたのだ! 天がわざとお手前方の愛(いと)しい二人の子を相愛の中に陥(おとしい)れて殺したもうたのだ」

 

三神勲:「見られい、これは皆汝(なんぢ)らの憎しみの天罰ぢや、天は汝らのいとしいひとり子を互いひに愛し合はせ、かくては、死に追ひやつたのぢや」

 

小田島雄志:「見たか、そなたたちの憎しみに加えられた天罰を。二人の子は愛しあうゆえ死にいたったのだ」

 

翻訳に関心のある者にとっては実に興味深いですね。

 

確かに松岡さんの解釈はそれまでと異なるなと思います。

 



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考えてみたらまともにシェイクスピア作品を読んだことはなかったのでよく親しまれてているものから読んでみることにしました。




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読みたい本がどんどん増えてしまっています。


 


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パンフレット:三島由紀夫追悼公演「サロメ」 [本]

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三島由紀夫が「サロメ」の演出をし、公演が二回行われたことは以前取り上げました。二回目は一回目の十一年後で、自決の三ヶ月後でした。

 

 

今回その二回目の公園のパンフレットを入手することができました。




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サロメは 森 秋子、ヘロデは 勝部 演之、ヘロデアは 南 美江とあります。

 



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この文章は一回目からの転載と思われます。



日夏耿之介、澁澤龍彦、森茉莉といった方々も文章を寄せられています。

三島の文章に続く和久田誠男さんの文章に三島の「ワイルド論」から引用されています。

 

「私がはじめて手にした文学作品は『サロメ』であった。これは私がはじめて自分の目で選んで自分の所有物にした本である。(後略)」

 

最初の上演までに二十年をかけたのですが、その始まりはここにあったのですね。

 

この劇団は演劇の要素の中で「言葉」を最も重要視するとあります。

冒頭の文章に

 われわれはイプセンがサルドウに学んだ初心にかへる。日本の新劇のあらゆる阿呆らしい先入主を蹴散らかす。

 

とあります。

 

松浦竹夫さんの文章に三島の言葉が引用されています。

 

 「ぼくたちは演劇の捨て石になろうよ」と、かつて、劇団を創立した時、三島氏は云った。また、ある日こうも云った。「ぼくたちが考えている芝居を二人とも生きているうちに観れるかな?二十年後か、三十年後かに。」



本筋とは関係ないのですが、三島が「観れる」という言葉遣いをしていたことがわかって興味深いです。


 


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三島のスケッチが二枚(舞台装置とサロメの衣装)掲載されています。

 


 
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先日取り寄せた「サロメ」のダンス版とオペラを視たのですが、ダンス版はいまいちピンと来ませんでした。

 

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オペラの方は時間の関係で途中まででしたが、ヨカナーンを演じたブリン・ターフェルの声が素晴らしく、他のものも鑑賞しようかという気になりました。

 

 


 

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『院曲サロメ(撒羅米)』 [本]

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先日ワイルドの「サロメ」を取り上げましたが、井村さんの『「サロメ」の変容』を読んでいましたらいろいろ興味深い内容に出会いました。

 

 

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ここで大いに評価されているのは日夏耿之介(ひなつ こうのすけ)の翻訳になる『院曲サロメ(撒羅米)』です。

 

三島由紀夫が実現した舞台に使用したのもこの翻訳でした。




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三島由紀夫は最初の上演(二回目はその十一年後、自決の数ヶ月後でした)にこぎつけるまでに二十年かけているそうですが、次のように評価していたとあります。

 

P.219

全体としてその訳語は三島由紀夫も言うように「瑰麗にして難解である」。しかし「口に出して読んでみると、力があり、リズムがあって、直に心に触れて来る名訳である」。この日夏訳を三島が選んだ一つの必然は、オリエントの品高い姫君の世界は、日夏訳でしか出せないという確信からであった。



さすがだなと思う箇所がありますのでそれを取り上げた箇所を一部引用します。

ルビは入力できないので()内に表示します。


P.221

 最後の「……そなたの脣(くち)に接吻(くちつ)けさせておくれのサロメの台詞であるが、微妙な表現の違いがいく通りもある。”I shall kiss thy mouth Jokanaan”(「約翰(ヨハネ)よ、わたしはそなたの脣(くち)に接吻(くちつ)けたいのぢや」)、”I will kiss thy mouth, Jokanaan”(「約翰(ヨハネ)よ、そなたの脣(くち)に接吻(くちつ)けがしたいのぢや」)、”Let me kiss thy mouth, Jokanaan”(「そなたの脣(くち)に接吻(くちつ)けさせておくれ」)。訳筆は原文のその微妙な変化を逃さず移しているが、この一行は「お前の唇にキスがしたい」といった現代語訳では、あるいは下世話なものに化してしまう恐れがある。この訳調の言葉使いからは、イスラエル王女の凜とした気高さや妖婉さ、そしてつき離すような冷たさまでが漂ってくる。

 ヨハネが死ぬまでは “kiss” を「口け」と訳し、首になってそれを抱くと「口け」と濁らせ、サロメが精神的に処女の状態からそれを失うまでを、一語の発音の違いで区別している神経の細かい配り方を日夏訳はみせている。ヨハネの首に口づけを果し、次の瞬間、死の奈落につき落される幕切れのサロメ最後の言葉「……そちの脣(くち)に、約翰(ヨハネ)よ、このわたしが接吻(くちづ)けをしたまでぢや」(”Jokanaan, I have kissed thy mouth”)にも「ヨハネよ、わたしはお前にキスをした」といった直截な現代語訳では出ない、相手との距離感や虚無感が余韻として響いている。



'18.4.18 追記。

三島は上演にあたり日夏訳の「ヨハネ」をより馴染みのある「ヨカナーン」、「ヘロデア」を「エロディアス」としようとしたが、セリフにすると日夏の訳文を乱すと感じられたので「ヨハネ」「ヘロディア」に戻した、とプログラムに書いているそうです。

(P.239 三島由紀夫の『サロメ』演出)



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日夏の翻訳は昭和三年刊行の「近代劇全集」(第四十一巻)に収められていますが、刊行後も日夏は訳文に手を入れ続け、昭和二十七年に角川文庫に収録されたものをもって決定訳としたそうです。




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ヤフオクで手に入ることがありますが、狙った巻が出品されているかどうかは探してみないとわかりませんね。




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この本もかなり古いので読むとバラバラになりそうです。




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日夏の訳は新本でも手に入りますのでそれを読めば良いのですが、井村さんの本によれば「近代劇全集」の解説がとても優れていたのに角川文庫にはそれは収められなかったのだそうです。



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「解題」は確かに興味深いです。

例えば、なぜワイルドはフランス語で書いたか。

 

 その断章をば巴里某處でフランス文人等の前で讀み上げて讃歎せられ、完成の上は再び見せようと考へた事實に基く。

 

聖書に登場するエピソードとの違い(首を欲しがるのが母親でなくサロメになった)についても考察されています。

 

 

まあここまで探して調べようという私は余程の暇人ですね。

 

 


 

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『「サロメ」の変容』 [本]

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先日「サロメ」を取り上げましたが、その後ちょうど知りたい事が載っていそうな本が見つかったので取り寄せてみました。

 


「サロメ」が書かれたのはワイルドがパリのホテルに滞在していた時で、ホテルの便箋にフランス語で書きつけたのが最も初期のものだそうです。

本は二つの出版社から出されたそうですが、実質自費出版であったようです。

英語への翻訳は当初知り合ったばかりの学生(気に入ったらしい。ちょっとあやしい)に任せたそうですがイマイチ気に入らなかったもののイラストを描いたビアズリーが翻訳したものは更に気に入らなかったので結局当初のものに手を入れて使ったようです。

 

ビアズリーについてはイラストも気に入らなかったことは先日も触れましたが、曰くあまりにも日本的だと。

当時はパリ万博の時代ですでにジャポニズムが大いに盛り上がっていた時代でしたが、ワイルドのイメージはビザンチン的なものだったそうで、ことによると自分のイメージと違うものが歓迎されたことが面白くないという思いもあったのかもしれません。

ただ、はっきりしているのはビアズリーがイラストの中にワイルドの作品と関係ないものをあれこれ書き込んだことと、ワイルドの戯画を書いていること、そしてこれが最も気に障ったと思いますがワイルドの顔を戯画化して(月の中などに)書き込んでいることが原因であったようです。

 

 

ワイルドは作品の構想をまとめる過程で

 ・「逆立ちで踊るサロメ像」(ルーアン大聖堂の聖ヨハネ門扉の破風の浮彫)

 ・「あらわれ」や「ヘロデの前で踊るサロメ像」

   (ユイスマンスの小説「さかしま」の主人公が語るギュスターヴ・モローの作品)

 ・フランシス・ホープの部屋の、黒いタイツで七つのヴェールを着けて逆立ちのポーズをとった若い女

 ・フローベールの『三つの物語』の「エロディアード」

 ・マドリッドのプラド美術館にあるティッツィアーノの「サロメ」

などのイメージを積み重ねていたようで、これらの特にヨハネの首を盆に載せて持つイメージが強烈に染み付いたのではないかと思います。

 

これらの絵画は元の聖書の中の物語を描いているはずですからサロメがヨハネの首を所望したのではなくその母親である王の妃がそれを望んだわけですが、絵として定着されたそのイメージがあまりにも強烈だったのでしょう。

 

 

聖書にはサロメという人物はもう一人登場するそうですが、ヘロディアスの娘であるサロメの名が記されている七巻の『ユダヤ戦記』や『ユダヤ古代史』(一七巻五章)では最初の夫とは早く死に別れ、再婚して三人の息子をもうけているそうです。



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この本にはここに挙げたような絵画も掲載されていますが、貞奴や松井須磨子、演技をつける三島由紀夫などの写真も掲載されています。

 

上の写真はサロメに扮するワイルドだそうです。

ビアズリーが戯画化したようなデブには見えませんが、こういう扮装をして写真を残すところは倒錯の気味があるように思えなくもありません。

 

こうしてみてくると義理の父の求めに応じて踊り、母の言う通りのものを望んだ少女はワイルドのイマジネーションによって最も有名なファム・ファタールの一人として創造されたと言えるかもしれません。

ワイルドの物語の中でもそれまで無垢な少女であったサロメがヨカナーンの姿を見て虜になってしまい、愛する相手を求める心を知り、相手にされないことによって自分のものだけにしてしまおうとして首を所望し、首に向かって「なぜ私の顔を見てくれなかったのか」と言ってとうとう口づけするというのはかなりエロティックなイメージです。

シリアの若い男(軍長)はサロメに恋い焦がれ、サロメが '女' に変わろうとする様子を見て自刃する。

義理の父である王もまた無垢なサロメに淫らな目を向けるが、ヨカナーンの首に口づけするのを見るに至って兵士に殺させる。

 

 

 

イギリスでは上演実現直前に中止させられたりしてワイルドの生前はプロの舞台で取り上げられることはなかったそうですが、それは内容がショッキングだったからではなく、神の物語を舞台に載せてはいけないという法律があったからだそうです。

 

 

上演が実現し、それを R.シュトラウスがオペラにして作品は一気に知名度が高まります。

 

 

『ドリアン・グレイの肖像』も尋常ではない物語ですが、ワイルド自身、その存在、立ち居振る舞いが話題の中心、世間の関心の的であったそうです。

今のこの時代にワイルドのような存在があったらどうでしょうか?

その行状も今では不道徳とまでは言われないでしょうし、その才能が今だったらそんな作品を生み出すのか、とても興味深いです。

 

でも、ビアズリーのような才能が同じように出てくるかどうかはわかりませんね。

 



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『幸福の王子』は何か深読みする余地があるのかなあとつい想像してしまいます。


 




 

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『サロメ』:戯曲とオペラと福音書と [本]

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ファム・ファタール(Femme fatale 運命の女、宿命の女、魔性の女)の代表のような人物で中野さんの本にも登場するサロメですが、よく知られたワイルドの戯曲と R.シュトラウスのオペラはおおもとの新約聖書の内容とはかなり異なっています。

 

Wikipedia によれば聖書に登場するサロメ(名前は書かれていない)は次のように描かれています。

 

『マタイによる福音書』

そのころ、領主ヘロデはイエスのうわさを聞いて、家来に言った、「あれはバプテスマのヨハネ(管理者注:洗礼者ヨハネ。イエスに洗礼を施した)だ。死人の中からよみがえったのだ。それで、あのような力が彼のうちに働いているのだ」。

 

というのは、ヘロデは先に、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤのことで、ヨハネを捕えて縛り、獄に入れていた。すなわち、ヨハネはヘロデに、「その女をめとるのは、よろしくない」と言ったからである。そこでヘロデはヨハネを殺そうと思ったが、群衆を恐れた。彼らがヨハネを預言者と認めていたからである。

 

さてヘロデの誕生日の祝に、ヘロデヤの娘がその席上で舞をまい、ヘロデを喜ばせたので、彼女の願うものは、なんでも与えようと、彼は誓って約束までした。すると彼女は母にそそのかされて、「バプテスマのヨハネの首を盆に載せて、ここに持ってきていただきとうございます」と言った。王は困ったが、いったん誓ったのと、また列座の人たちの手前、それを与えるように命じ、人をつかわして、獄中でヨハネの首を切らせた。その首は盆に載せて運ばれ、少女にわたされ、少女はそれを母のところに持って行った。

 

それから、ヨハネの弟子たちがきて、死体を引き取って葬った。そして、イエスのところに行って報告した。

 

『マルコによる福音書』

さて、イエスの名が知れわたって、ヘロデ王の耳にはいった。ある人々は「バプテスマのヨハネが、死人の中からよみがえってきたのだ。それで、あのような力が彼のうちに働いているのだ」と言い、他の人々は「彼はエリヤだ」と言い、また他の人々は「昔の預言者のような預言者だ」と言った。ところが、ヘロデはこれを聞いて、「わたしが首を切ったあのヨハネがよみがえったのだ」と言った。

 

このヘロデは、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤをめとったが、そのことで、人をつかわし、ヨハネを捕えて獄につないだ。それは、ヨハネがヘロデに、「兄弟の妻をめとるのは、よろしくない」と言ったからである。そこで、ヘロデヤはヨハネを恨み、彼を殺そうと思っていたが、できないでいた。それはヘロデが、ヨハネは正しくて聖なる人であることを知って、彼を恐れ、彼に保護を加え、またその教を聞いて非常に悩みながらも、なお喜んで聞いていたからである。

 

ところが、よい機会がきた。ヘロデは自分の誕生日の祝に、高官や将校やガリラヤの重立った人たちを招いて宴会を催したが、そこへ、このヘロデヤの娘がはいってきて舞をまい、ヘロデをはじめ列座の人たちを喜ばせた。そこで王はこの少女に「ほしいものはなんでも言いなさい。あなたにあげるから」と言い、さらに「ほしければ、この国の半分でもあげよう」と誓って言った。そこで少女は座をはずして、母に「何をお願いしましょうか」と尋ねると、母は「バプテスマのヨハネの首を」と答えた。するとすぐ、少女は急いで王のところに行って願った、「今すぐに、バプテスマのヨハネの首を盆にのせて、それをいただきとうございます」。王は非常に困ったが、いったん誓ったのと、また列座の人たちの手前、少女の願いを退けることを好まなかった。そこで、王はすぐに衛兵をつかわし、ヨハネの首を持って来るように命じた。衛兵は出て行き、獄中でヨハネの首を切り、盆にのせて持ってきて少女に与え、少女はそれを母にわたした。ヨハネの弟子たちはこのことを聞き、その死体を引き取りにきて、墓に納めた。




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ワイルドによるものは以下です。


ユダヤの王エロドは、自分の兄である前王を殺し妃を奪い今の座に就いた。妃の娘である王女サロメに魅せられて、いやらしい目を彼女に向ける。その視線に堪えられなくなったサロメは、宴の席をはずれて、預言者ヨカナーン(洗礼者ヨハネ)が閉じ込められている井戸に向かう。預言者は不吉な言葉を喚き散らして、妃から嫌がられている。預言者との接触は王により禁じられているのだが、サロメは色仕掛けで見張り番であるシリアの青年に禁を破らせて、預言者を見てしまう。そして彼に恋をするのだが、預言者のほうは彼女の忌まわしい生い立ちをなじるばかりである。愛を拒まれたサロメはヨカナーンに口づけすると誓う。

エロドはサロメにしつこくダンスをしろと要求し、何でも好きなものをほうびにとらせると約束する。サロメはこれに応じて7つのヴェールの踊りを踊り、返礼としてエロドにヨカナーンの首を所望する。預言者の力を恐れて断るエロドだが、サロメは聞き入れない。あきらめたエロドはヨカナーンの首をサロメにとらせる。銀の皿にのって運ばれてきたヨカナーンの唇にサロメが口づけし、恋を語る。これを見たエロドはサロメを殺させる。

(Wikipedia)




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ワイルドの作品が有名になったのはビアズリーの挿絵に負うところも大きいと思いますが、元々は全てこの作品のために書かれたものではなかったようで、ワルド自身もあまり気に入ってはいなかったそうです。




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オペラの DVD は何種類か出ていますが、目に留まったのはマリア・ユーイングのものです。

R.シュトラウス:楽劇「サロメ」全曲 [DVD]

R.シュトラウス:楽劇「サロメ」全曲 [DVD]

  • 出版社/メーカー: ジェネオン エンタテインメント
  • メディア: DVD

ユーイングはベーム盤の『フィガロの結婚』でケルビーノを歌ったのが印象に残っています。

評価の高い盤は他にもあるようですが、ひとまず知っている歌手のものを。

 

なお演出は様々ですが、あまりリアルな生首を出すわけにはいかないと思いますが、ジャケット写真を見る限りでは首斬り役人など、モザイクをかけなければならないような演出もあるようです。

 

このマリア・ユーイングによる盤もそうした場面があるようですが、なぜだろうと思いましたが、ビアズリーの挿絵の影響ではないかと思います。

「7つのヴェールの踊り」は単独で演奏されることもありますが、この場面では一枚づつ脱いでいくらしいです。

まあこの辺は、実演しようとする場合はあまり原作に忠実にとこだわらなくても良いのではないかとは思います。

 



ワイルドのスキャンダル(同性愛)のとばっちりを受けてビアズレーも指弾された(一体視されていた)ため、ワイルドを敵視していたそうです。

ワイルドはビアズレーの才能は買っていてワイルドがシャバに出てからビアズレーに挿絵をまた依頼したものの、ビアズレーは断ったそうです。

 

ビアズレーは25歳で亡くなっています。


 




 

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谷川俊太郎、語る [本]

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思うところあって谷川さんの詩集を買いに行ったのですが、会社の近くの書店には一冊もなし。

 

しかし目についたこれを買ってみました。

 

谷川さんその人についてはあまり知らないのでちょうど良い出会いでした。




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選ばれた20の詩とオリジナル一編が掲載されています。




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こちらは NHK のドラマ『この声をきみに』で朗読されていた「生きる」という詩と写真のコラボレーションででき上がった本です。

もう絶版なので古本でしか入手できません。

 

 

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とても印象に残った詩ですが、ドラマの中では先生と生徒が輪読するという形でしたので超一流の朗読というわけではありませんでしたが、文字を読んでみたいと思ったのでした。

 

写真とのコラボレーションはうまくいけばイメージが相乗効果を生み出すと思いますが、この本の写真はいまいちピンと来ませんでした。

 



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オリジナルはこの詩集に収められています。

 



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こちらは以前取り上げました。

とても素敵な本で心に沁みる詩ですが、帯にある通り本当に恋愛小説のようです。

人生をある程度生きた大人のための詩でしょう。



これももう古本でしか手に入りません。

 

イラストが詩を邪魔していません。

とても素敵な本でお気に入りなので何冊か確保してあります。

 




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良さがわかる人へのプレゼントにしたい本です。



魂のいちばんおいしいところ―谷川俊太郎詩集

魂のいちばんおいしいところ―谷川俊太郎詩集

  • 作者: 谷川 俊太郎
  • 出版社/メーカー: サンリオ
  • 発売日: 1990/12
  • メディア: 単行本
オリジナルはこちらに収められています。


 

「朝のリレー」も以前に取り上げましたが、美しい写真がとても素敵です。

 

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これを取り上げた記事

 カムチャッカ

という表記と

 カムチャツカ

という表記があるがどちらだろうかと書きましたら、ある方が谷川さんご本人に確認してくださって

 カムチャツカ

が正解と知らせてくださいました。

 

今回購入した本にも一部この詩が引用されています。

1968年の河出書房の「谷川俊太郎詩集」からと明記されていますが、

 カムチャッカ

になっています。

 

しかしこれは変ですね。

上の写真の5番がまさにその詩集ですが、

 カムチャツカ

になっています。

 

新潮社の出版ですが、この辺のチェックまでは行き届かないのでしょうね。

 

 


 

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『野菊の墓』復刻版と『初恋』 [本]

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以前取り上げました『野菊の墓』の復刻版が Amazon にありましたので取り寄せてみました。




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こんなところまで再現されています。

昔の本はこうでしたね。




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文庫で気になっていた箇所をチェックしてみます。

「祖父」に振られたルビは「ぢゝい」でした。




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「某」はやっぱり「それがし」でした。




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ところでネットで『野菊の墓』が盗作だと言っているサイトが見つかりました。

ここで言及している 嵯峨の屋お室 を Wikipedia で見ると坪内逍遥の門下で二葉亭四迷の同級生とあります。

東京外国語学校(現東京外国語大学)露西亜語科で学んだそうで、自身の『初恋』はツルゲーネフの『初恋』の影響を受けていると言っているそうです。



Amazon でオンデマンドのものが見つかりましたので取り寄せてみました。

 



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ざっと読んでみますと、舞台は江戸時代。

民子を思わせる女性は年上の従姉妹。

政夫を思わせる主人公は我が家に叔父と一緒に来たその女性と親しく交流し、恋心を抱きます。

蕨採りに行って皆とはぐれてしまって遅れて帰ってくるという設定も似ています。

女性はここにいる間に縁談がまとまり嫁いでいきますが、嫁ぎ先で亡くなります。

大筋は似ています。

 

しかし強い印象を残す

「道理で民さんは野菊のような人だ」

「僕大好きさ。」

のようなやり取りはありませんし、政夫の母にきつく言われて諦めて嫁ぐという流れでもありません。

 

性格も無邪気な印象の民子とは違うように思えます。

 

『初恋』が明治22年、『野菊の墓』は明治39年。

左千夫が『初恋』を読んだ可能性はありますが、両作品の印象は異なります。

 

どちらが好きかと言われれば『野菊の墓』ですね。

 

嵯峨の屋お室 には『野末の菊』という作品もあるそうですが、これは Amazon にもありませんので、古本を探してみようと思います。

 

現代日本文学全集 ; 第10篇 (改造社)に収録されているようです。

 

 

明日は近所で法事がありますので朝の更新はお休みします。

撮影はできるかもしれません。

 

 


 

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朗読を聴く:「野菊の墓」 [本]

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確かめたい本があって三省堂書店に行きました。

よせばいいのに予定していないコーナーを回って予定していない本を買ってしまいました。

 

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パンダの赤ちゃんの写真集とはタイムリーですね。

シャンシャンは載っていないでしょうがつい買ってしまいました。




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さて先日随分久しぶりに「野菊の墓」を読んだのですが、読んだのはパブリックドメインとして公開されているネット上の文書でした。

 

 

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書籍でも読んでみようと思いまず図書館に行き一冊借りました。

岩波文庫がありました。

我が家の書架を探しましたが行方不明なのです。




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随分ルビが振られています。

祖父を "じじい" と読むのがちょっと気になりました。




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Amazon で他の文庫を取り寄せてみました。

旺文社文庫です。

 



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こちらはルビを振っていません。




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長くはない小説なので思いついて朗読を聴いてみようと思いました。

以前 NHK のドラマ『この声をきみに』で朗読に少し関心がでてきたことも理由です。




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芥川さんの朗読なら良いだろうと思いましたが、地の文は思ったより起伏のない読み方でちょっと意外でした。

 

朗読では例の箇所は "そふ" と読んでいました。

 

本を見ながら聴いたわけではないのですが、一箇所耳に引っかかりました。




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どちらの文庫も “それがし” と読むようになっていますが、朗読では “ぼう” と読んでいました。

 

朗読原稿には多分ルビはないでしょう。

“ぼう” はないかな、と思います。

“なにがし” と読んでいたら気づかなかったかもしれません。



オリジナルの復刻版が Amazon にありましたので注文してみました。

読めるかどうかわかりませんが、ちょっと楽しみです。

 

近代文学館〈〔38〕〉野菊の墓―名著複刻全集 (1968年)

近代文学館〈〔38〕〉野菊の墓―名著複刻全集 (1968年)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 日本近代文学館 図書月販
  • 発売日: 1968
  • メディア: -

新しい広辞苑の項目の一つがニュースで取り上げられていました。

珍しいことですね。

 


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三省堂書店にももちろんたくさん並んでいましたが、関連グッズもありましたので買ってみました。





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文庫版のブックカバーです。




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こちらは箱付きで凝っていますが、




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ポーチのようなものです。




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昔の岩波書店では考えられないことですね。

 
 


 

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『源氏物語』を読み始める [本]

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今日は朝から良いお天気でした。

土曜日ですが、休診ではないので外来の患者さんが朝からたくさんいます。


空気も澄んでいたので夜明けがきれいでした。


昨夜は久しぶりにカラーで鮮明な夢を見ました。

船で島に渡り青い空白い雲白い波濤白い砂などを X70 で撮りまくったのですが、途中で動作が不安定になります。

島の友人の家で大きな海老を撮ったり、何の意味があるのかわかりませんが外へ出たいという願望なのかもしれません。



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さて本は何冊か持ってきたのですが、読みやすいものを二冊読み終わり、ついでについ売店で買ってしまった文庫本を一冊読み、いよいよ予定していた『源氏物語』に取り組むことにしました。



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以前取り上げましたが、全三巻の予定の角田光代さんの新訳です。


本文の一部もその時リーフレットから引用してご紹介しましたが、今回は中に挟まれている月報からご紹介しましょう。



与謝野晶子、谷崎潤一郎に続いて円地文子が視力を失いかけてまで訳した執念の訳業と川端康成が取り組んでいると聞いた時のエピソード(「もし、それが完成したら、私は銀座通りを裸で逆立ちして歩いてやる。」)も紹介されていますが、瀬戸内さんもそのとき取り掛かっていたそうで、「恐ろしさに震え上った」と書いていますが、止めようとはしなかったとか。


日本文学全集04 月報 〔2017・9〕
源氏物語   上   角田光代・訳
源氏物語の現代語訳変遷
瀬戸内寂聴
(中略)
   日本語は二十年ですっかり変化する。日常の喋り言葉も、書かれた文章も命は二十年である。九十五年生きてしまった私の実感である。私の「源氏」が世に出てから早くも二十年が過ぎた。今、当代一の小説作りの名手の角田光代さんが、新しく源氏物語の訳業をなしとげられた。現代の若い人たちが、こぞって最も新しく自分の話し言葉に近い源氏物語を堪能することだろう。時代はそうして変化し進んでゆく。変らないのは、紫式部の書き残した源氏物語の愛の本質だけであろう。


「空蝉」の途中まで読みましたが、いやはや興味深いです。

この道は昔も今も変わりません。

光源氏たちがどのような女が理想かと噂する件りなど、真理ではないでしょうか?


原文を読みこなす力はありませんが、かなり平易な現代語になっていて話者が誰であるかわかりづらい箇所は文体を変えるなど工夫が凝らされていて読みやすい文章ですが、それでも和歌の内容など意味が取れるところは解説のように書かれるとちょっと興醒めという点もないわけではありません。


いつか他の訳者のものも読んでみようかとは思うのですが、谷崎さんはあまり好きではないし与謝野晶子は苦労しそう。

瀬戸内さんは愛欲の色が濃くなっていそうでややためらいます。


川端さんが完成させていてくれたらと思うのですが、未完のものが読めるなら読んでみたいですね。

 

 
 
 


 


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